金策冒険家エイジのblog

私は、私のままで、成功していける。金策冒険家エイジの思考と実践の、不定型な日常。
本や家電、ゲームのレビュー、日常を題材とした小説、メルマガほか。
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ハワイの秘法ホ・オポノポノへの軌跡 Vol.170

Monday, 20, 2008 at 12:44
[2008/10/18]
金策冒険家エイジの億万長者への路 vol.170
──────────────────── http://seikou.info/ ──


  メルマガを読んでくれてありがとうございます。


  私が就職する直前、学生という身分の有効期限が切れた直後の
  話から始めたいと思います。
  卒業式が終わり、仲良くしていた同級生十数人と最後の飲み会
  を催しました。
  もうこのメンバーで飲む機会は訪れないだろう。
  心のどこかでそう感じていましたが、みんなそのことに気付い
  てすらいないかのようでした。
  終電の時間を気にしなくてはならない時間になったところで、
  互いの夢を発表しあってこの会を締めくくることとなりました。
  そこで、Aという人物がこんなことを言い出しました。


  「芥川賞を受賞して、ゆくゆくはノーベル文学賞を獲る!」


  本人を除く全員が笑い、それを本気にしませんでした。
  次にBという人物が自分の夢を発表しました。


  「就職先のカーディーラーで昇進して、ゆくゆくは所長になる。
   結婚して小さくても幸せな家庭を築く」


  この最後の飲み会で私がハッキリ思い出せるのは、AB2名の人物
  が互いの夢を発表しあったこの瞬間だけです。
  私にとって両者の相違は衝撃的な出来事でした。



▼ピエロの夢とリーダーの夢▼

  勘のいい読者であれば、ABどちらが私かわかったでしょう。
  私は「芥川賞を受賞して、ゆくゆくはノーベル文学賞を獲る」
  と放言した人物でした。
  22歳当時、私はそのような大言壮語を臆面もなく口にすること
  ができましたし、在学中常にそのように振る舞ってきました。

  このような人間は鼻持ちならない、身の程知らずの、勘違い野
  郎と後ろ指を指され、誰からも相手にされないこともあります
  が、幸いにも私にはそれが許されるキャラクターを有していた
  ようです。
  常識人ばかりの集まりよりも、一人くらい非常識な人間が混じっ
  た方が場も物語も面白くなるというもの。
  私はグループのよき撹乱役として、その存在を認められていま
  した。


  「○○(私の名前)君らしいよ」


  などと言われて。

  一方Bという人物はグループ内の中心的存在で、人望もあり、
  グループ内の決定はほぼ彼の意志が反映されていました。

  言うなればあの瞬間は、グループ内のピエロとリーダーが互い
  の夢を発表しあった、最初で最後の機会でした。



▼現実主義者の夢/夢想家の夢▼

  私以外のその場に立ち会った仲間たちがAB2名の夢の違いについ
  てどう感じていたのか、今となっては知るよしもありません。
  ただ私がBの夢を聴いた直後、こう聞きただしていました。


  「本気で言ってんの?」


  私にはBの語る夢が信じられませんでした。、
  それがあまりにもちっぽけに感じられ、冗談を言っているよう
  に思えたのです。
  芥川賞やノーベル文学賞を獲ろうという人間からすれば、営業
  所の所長や結婚は予定調和の人生を生きているに過ぎず、「夢」
  の範疇にすら入っていないのでした。

  今からふり返ると、Bの夢は現実主義者のそれ、Aの夢は夢想家
  のそれだったのだと理解できます。

  それがBの本心であることが疑いようもないと悟ったとき、目
  の前の見知った顔が、はるか彼方に見える見知らぬ人のそれに
  思えました。
  私とBとの間には、もともとグランドキャニオン級の埋めがたい
  溝が横たわっていたのです。
  私はそこまで決定的な隔たりがあったとは知らずに、4年間を過
  ごしてきました。



▼身の程を知るということ▼


  「あなたの夢は何ですか?」


  この問いに「営業所の所長になって、理想の彼女と結婚し、小
  さくても幸せな家庭を築くこと」と答えられるような人物であ
  れば、私は今、こんなメルマガを書いてはいないでしょう。
  私はそういう人間として生まれつかなかったのでした。

  幸か不幸か、「芥川賞を受賞して、ゆくゆくはノーベル文学賞
  を獲る!」と言い放てるような人間として生まれつきました。
  このような人間の多くは、程なく身の程を知る経験を重ねてい
  くことになります。
  実際、私の20代はほぼそれに費やされました。

  芥川賞を受賞するには、文芸誌に作品が掲載されなければなり
  ません。
  文芸誌に作品が掲載されるには、新人賞を受賞しなければなり
  ません。
  新人賞を受賞するには、最終選考に残らなくてはなりません。
  最終選考に残るには3次予選、2次予選、1次予選を通過しなけれ
  ばなりません。
  100分の1、1,000分の1の難関です。

  予選を通過するにはまず作品を書き上げ、新人賞に応募しなけ
  ればなりません。
  作品を書き上げるために膨大な時間と労力を費やします。
  その間、1円のお金にもなりません。
  受賞しなければ、その作品はただの紙くずとして廃棄されます。

  このような非生産的なことに命を燃やさざるを得ない人間の生
  活がどのようなものか、想像できるでしょうか?

  「さっさと夢を諦めて、堅実な暮らしを始めればいい」という
  忠告は意味を成しません。
  それができるなら、とうの昔にそうしています。
  そのような忠告はBのような人間に対して有効なのであって、
  芥川賞やノーベル文学賞などと大層な夢を抱く人間には役に立
  たないのです。
  たとえそれが親からの忠告であっても。

  心血を注いで完成させた作品、いわば私の命が見向きもされず、
  唾棄されていくことが繰り返されていく中で、私は本当の命が
  失われそうになる危機を何度か体験してきました。
  私が「金策冒険家」を標榜する以前のことです。



▼自分の途を選んだ代償▼

  自分の夢を棚上げし、「金策冒険家」としての活動を続けて3年。
  1つの成果を出すことができました。


  『金策冒険家エイジの小さな旅』
   ⇒< http://seikou.info/bouken/index.html >


  生まれて初めて出版することができた私の本です。
  この本の後書きでも述べましたが、この本が出版できたのは今、
  このメルマガを読んでくれている読者のおかげです。

  残念なことにこの本はあまり売れませんでした。
  今も出版社の倉庫に2,000冊以上残っているようです。
  あるいは、すでにその2,000冊も処分されてしまったかもわか
  りません。

  私はこの一連の体験からいくつかのことを学びました。
  私には世間が求めているものを提供するつもりがない、という
  認識がその1つです。

  私は本の中で、手っ取り早く億万長者になることよりも自分ら
  しく在ること――「私は私のままで成功していける」という途
  ――を選びました。
  そこに共感してくれる読者もいましたが、世間は億万長者にな
  ること――億万長者になる方法やどうやって億万長者になった
  かについて――を望んでいました。
  もしそうした内容を書いていれば、本はもっと売れていたでしょ
  う。



▼簡単に億万長者になる方法▼

  億万長者になるなんて簡単です。
  人を騙したり脅したり、人に迷惑をかけたり被害を与えたり、
  人のものを奪ったり盗んだりすれば簡単にお金持ちになれます。

 「目的のためならあらゆる手段は正当化される」という信念さえ
  あれば、億万長者になるのに1年もかからないでしょう。

  仮に私がそんな方法を知っていたとしても、それを本やテキス
  トにして販売しようとは思いません。
  そんなことはすでに誰かがやっていますし、それでお金を手に
  入れたとしてもうれしくないからです。
  それは私の成功ではありません。
  たとえそれで億万長者になれたとしても。



▼人生というゲームに成功するには?▼

  私には私の途があり、人には人の途がある。
  他人の途を歩むことで目的地に近づいたように思えても、実際
  は遠回りをさせられているだけ。
  人はただ自分の途を歩んでいく以外にない。


  私はこの事実を「人それぞれ成功のルールは異なる」と表現し
  て理解しています。
  人にはそれぞれ独自のルールが設定されていて、そのルール内
  でそれぞれの成功/失敗を実現していくのです。

  サッカーではボールを手で持ってはいけません。
  ラグビーではボールを手で持つことは許されていますが、自分
  よりも後ろの人にしかパスできません。
  アメリカン・フットボールではボールを手に持っても、自分よ
  り前の人にパスしてもルール違反にはなりません。

  アメフトのルールを前提にアメフトでの成功法をサッカー選手
  に当てはめても無意味です。
  その多くはサッカー選手にとってルール違反であり、使えない
  方法ですから。

  「私はこうやって成功した」などの体験談、「こうすれば億万
  長者になれる」的なノウハウが得てして役に立たない、むしろ
  成功への妨げとなるのはそうした理由です。
  結局のところ、自分が成功する方法は自分で見出すよりないの
  です。
  きっとこれも、自分が他人とは違う人間として生まれた理由の
  1つなのでしょう。



▼そのときすべての価値がゼロになった▼

  私は成功について、とりわけ自分の成功について考え、それを
  記録していきました。
  その過程で、私は「価値の崩壊」というべき状態を体験しまし
  た。
  今年の9月下旬のことです。
  これまで価値があると思っていたことが、ゼロになったのです。

  15年前の私は将来的にノーベル文学賞を獲ることを、当面は芥
  川賞を受賞することを、作品が新人賞を受賞することを、その
  ための作品を完成させることを、命よりも大切にしてきました。

  「金策冒険家」を標榜し始めた頃は、フリーターから億万長者
  になることを、その過程を記録し本にすることを、それをきっ
  かけに作家に転身することを夢見てきました。

  言ってみれば歴史に名を残し、人々の記憶にとどまりつづける
  ような人生を生きたいと思っていたのです。
  私の葬儀には大勢の人々が駆けつけ列をなす、そんな人生……。

  今は違います。

  私は自分に相応しい最期がどんなものか、思いを巡らせてみま
  した。
  それは誰にも気付かれることなく、いつのまにかこの世から消
  えているというようなイメージでした。
  あたかも宙に漂う煙のように。

  私が私として生きたことが誰にも知られなかったとしてもそれ
  はそれでいいと思えたのです。
  歴史に名を残して死んでも、犬死、野垂れ死にでも同じに思え
  ました。
  どちらの死に方でも価値はゼロなのです。

  人から認められ、人から求められ、人から賞賛され、人から感
  謝され、そうした人生が価値ある人生だと思い込んでいました。
  逆にそうでない人生はつまらない、価値のない人生だと思わさ
  れてきました。
  ですがそれは、人間による勝手な解釈に過ぎないとわかったの
  です。
  どのように生き、どのように死んでも、その価値はゼロなのだ
  とわかりました。

  私はいつの間にか人から認められなくてもいい、人から求めら
  れなくてもいい、人から賞賛されなくてもいい、人から感謝さ
  れなくてもいい人間になっていました。
  そういう縛りから解放されて、以前より自由になったのかもし
  れません。
  ただその瞬間、生きる方向にも死ぬ方向にも舵を切れず、凪い
  だ大海の上にポツンと浮かぶヨットに一人とり残されたような
  気分のまま、静止した時間をただ眺めているよりありませんで
  した。



▼情熱と欲望が過ぎ去って▼

  15年前の私は身を滅ぼすほどの純粋な情熱によって数百枚もの
  原稿を書き上げ、明確な目標に向かってひたすら突撃を繰り返
  していました。

  「金策冒険家」になったばかりの頃は、その野望を内に秘めな
  がらメルマガ発行に勤しむことで、フリーターという隷属階級
  から思いのままの人生を歩む運命の貴族への転身を目論んでい
  ました。

  今からすると、それらは名誉欲や自己顕示欲、功名心による活
  動であったように思えます。

  最近「価値の崩壊」を体験した私は、しばらく何もやる気が起
  きない状態が続きました。
  何をしても何かをしなくても、その価値はゼロなのです。
  かつての私は原稿を書く時間を確保するために低賃金で働き、
  そうした現状を打破するために「金策冒険家」になったはずで
  した。
  それが今、原稿を書く気力は失われ、お金を稼ぐ気にもならず、
  かといって報われない運命に決着を付ける気も起こりませんで
  した。
  いつまで待っても、「巨大隕石、地球へ落下!」のニュース速報
  は報道されませんでした。

  ようやく「久々にメルマガを書こう」という気力がよみがえっ
  てきた今言えることは、「人間、生きるにしても死ぬにしても、
  そうした欲や願望があったほうが都合がいい」ということです。
  一旦あらゆる価値がゼロになってしまうと、どうすることもで
  きないのです。


  15年前:小説家になる!
  7年前:億万長者になる!


  私はそうなれば幸せになれる、そうなることこそが人生の勝利
  だと信じていました。
  裏を返せば、そうなれなければ不幸せ、そうなれなかったら人
  生の敗北と信じていたのです。
  今は、私が小説家/億万長者になれてもなれなくてもかまいませ
  ん。
  もちろんなれたらなれたでうれしいでしょう。
  ですが、そうなることに狂おしいほど固執していたかつての私
  はすでにいません。
  オリンピックの金メダリストたちのようには喜べないでしょう。
  正直なところ、「是が非でも小説家/億万長者になりたい!」と
  いう願望/欲望も、「絶対小説家/億万長者になる!」という熱意
  /情熱もないのです。



▼「引き寄せの法則」ではちょっと……▼

 「引き寄せの法則」が去年から今年にかけてブームになりました。
  関連書籍も多数刊行されています。
  このメルマガの読者であれば、ブームになる以前からその存在
  を知って、実践していたかもしれません。
  ここでは知らない人のために簡単に説明します。

 「引き寄せの法則」とは自分が考えたりイメージしたり感じたり
  していることが現実として立ち現れる現象のことです。
  これを理解すれば、自分の思考や想像、感情を望むものやこと
  に集中させることで、望む現実を引き寄せ、望まぬ現実を遠ざ
  けることができるとされています。

  一連の「引き寄せの法則」関連の本で報告されていますが、古
  今東西様々な人々がこの方法によって望みの人生を手に入れて
  きました。
  このメルマガの読者の中にもそういう人がいるかもしれません。
  そういう人は引き続き「引き寄せの法則」を利用して、望みの
  人生を送ってほしいと思います。

  ※引き寄せの法則 関連書籍
   ⇒< http://seikou.info/url/hikiyose.html >



▼どの自分が望み、どの自分が望んでいなかったのか▼

  ここでは「引き寄せの法則」を実践したものの限界、ないし違
  和を感じている人。
  あるいは効果が得られていない人を対象に話をしたいと思いま
  す。


  自分が望む現実が明確な人であれば「引き寄せの法則」は役に
  立ってくれるかもしれません。
  なにしろ望む現実に思考と感情を集中させ、もうそれがかなっ
  たと思い込み、前もって感謝していればいいのです。
  そうすることで望む現実が引き寄せられるかどうかは、やって
  みてのお楽しみです。

  では今の私のように望む現実が不明確な人はどうすればいいの
  でしょう?
  私はこれまで小説家になること、億万長者になることに意識を
  集中させ、必要な作業を積み重ねてきましたが、それでもまだ
  足りないのでしょうか?

  私は今、こう考えています。


  私が望んでいた現実(小説家/億万長者)は、自分が思っている
  ほどには望んでいなかったのではないか?


 「私が望んでいた」の【私】とは誰で、「自分が思っているほど
  には」の【自分】とは誰のことでしょう?

  この問いは重要です。
  答えはこうです。


  【私】とは顕在意識としての私、私が意識している私。
  【自分】とは超意識としての私、本当の私。


  顕在意識としての私は小説家となることで名誉欲が満たされ、
  億万長者となることで自己重要感を感じるでしょう。
  15年前、7年前あれば一層強く。
  ただ超意識としての私は、名誉欲や自己重要感を満たすことな
  どちっぽけな夢、取るに足らない体験と思っていたのかもしれ
  ません。
  さながら15年前の私がBの語る夢をちっぽけに思えたように。

  そう考えると、この15年の軌跡には納得もいくのです。



▼私らしく生きて/私として在り続ける▼

  現時点での結論はこうです。


  私は私らしく生きていく/死んでいく。
  私は私として在り続ける。


  漠然としていますが、今はこのくらい大まかにしか定義できま
  せん。
  この先私が具体的に何をしていくのかわからないのです。
  ただ何をするにせよそれは私らしいことであり、私が本来すべ
  きことであり、本来の私にとって相応しいことなのだと思いま
  す。

  この瞬間に限って言えば、私は今こうした内容のメルマガを書
  き、それを完成させて配信することがそれです。
  それが終わったら何をするか、それは今の時点でわかりません。
  きっとそのときになったら明確になっているでしょう。
  仮に、また何もする気がなくなってしまったら、そのときはそ
  のときです。
  ただそうなっても私は自分が何をするか、わかっています。
  クリーニングです。



▼あらゆる問題を解決するハワイの秘法▼

  クリーニングとは潜在意識にある記憶(あらゆる問題の原因)
  を消し去ることを意味します。
  お洗濯のことではありません。
  そうすることであらゆる問題は解決され、その人が本来あるべ
  き生き方ができるとされています。

  私はその方法を今年の10月に習ってきました。
  『ハワイの秘法』という本を読んだことがきっかけでした。
  ハワイの伝統的な問題解決法ホ・オポノポノの最新形セルフア
  イデンティティ・ホ・オポノポノ(以下ホ・オポノポノ)とイ
  ハレアカラ・ヒューレン教授について紹介した本です。
  読了後、私はすぐにヒューレン教授のセミナーに申し込んだの
  でした。

  ※『ハワイの秘法』については後半でブックレビューを紹介し
   ます。
   【詳細】⇒< http://seikou.info/url/hawaiihihou.html >


▼小さな私の望みから大きな私の望みへ▼

  『ハワイの秘法』を読み終えたのが7月下旬。
  その2ヵ月後に「価値の崩壊」を体験したわけですから、あのと
  き勢いで申し込んでおいてよかったです。
  でなければ、私の快復はもっと遅れていたでしょう。

  これまでの私は、自分という存在が「私が意識している私(顕
  在意識の私)」でほとんど占められていると信じ込んでいまし
  た。
  そのことに疑いを抱けないほど盲目的に。
  それ故私は、「私が意識している私(顕在意識の私)」に振り
  回された人生を送ってきたのかもしれません。

  ホ・オポノポノに触れ、クリーニングをし続けることによって
  その信念が真実のほんの一端しか含んでいないということが見
  えるようになってきました。
  きっとさらにクリーニングをつづければ、もっと自分が見えて
  くるでしょう。

  大きな私が本当に望んでいる私。

  今は具体的にイメージできませんが、クリーニングを続けてい
  けば、やがて小さな私にも理解できる日が来るでしょう。

  最後に、今年9月末に発売されたばかりのイハレアカラ・ヒュー
  レン教授による初めてのホ・オポノポノ解説本『みんなが幸せ
  になるホ・オポノポノ』の中から、特に心に残った一節を引用
  します。
  ヒューレン教授がハワイの文部省から校長先生たちだけが集ま
  る会議で講演してほしいという依頼を受けたときのエピソード
  です。
  これを読んで、何か感じるものがあった方は、ご自身の直感に
  従ってみてください。



 ---<引用>----------------------------------------------------

  私はいつもどおり、講演の前にクリーニングを始めました。しかし、
  クリーニングしているうちに、私がどんなことを言おうとも、二度
  と校長先生たちの講演会には呼ばれないだろうということがわかっ
  てしまいました。
  どんなにクリーニングしても、校長先生たちは私の話に耳を傾けな
  くなるだろうということがはっきり見えてしまったのです。
  ここが大切なポイントですが、ホ・オポノポノで何かをしようとい
  うとき、自分のための利益を考えてはいけません。自分のためでは
  なく、みんなのために一番いいという視点から考えなければならな
  いのです。
  何かをしようというときには、何らかの意図があるものです。しか
  し、こういう成果がほしいと考えること自体、コントロールするこ
  とになってしまいます。ですから、私は常にゼロに戻すことだけ考
  えるようにしています。
               (中略)
  自分が思う結果に執着していると、いい結果は出ません。
  こうなってほしい、ああなってほしいというのは自分の執着なので、
  それを手放してどっちでもいいというゼロの状態になったときに、
  本当に世の中にとって一番いい方向に物事が働きはじめるのです。

         『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』p82〜84より
          ⇒< http://seikou.info/url/hooponopono1.html >

 --------------------------------------------<引用 ここまで>---




 ────────────────────────────────
  『ハワイの秘法』レビュー - 記憶と霊感の狭間で
 ────────────────────────────────

  以下に『ハワイの秘法』を読み終えた直後の、軽い興奮状態に
  ある私が書いた同書のレビューを引用します。


 ■『ハワイの秘法』レビュー - 記憶と霊感の狭間で
  < http://plaza.rakuten.co.jp/supple/diary/200807250000/ >
  < http://kinsaku.jugem.cc/?eid=350 >



 ---<引用>----------------------------------------------------

  『ハワイの秘法』(ジョー・ヴィターリ、イハレアカラ・ヒューレ
  ン著 PHP研究初刊)を読んだ。

  全世界で900万部を突破したベストセラー『ザ・シークレット』。
  そこに登場する作家ジョー・ヴィターリ(『ザ・シークレット』で
  は「ジョー・ビタリー博士」)氏の著作『Zero Limits: The Secret
   Hawaiian System for Wealth, Health, Peace, and More』の訳本。
  内容はジョー・ヴィターリ氏がハワイに伝統的に伝わる究極の問題
  解決法(ヒーリング手法)「ホ・オポノポノ」の伝道師イハレアカ
  ラ・ヒューレン博士と出会い、「ホ・オポノポノ」を理解し、実践
  していく、というもの。
  未知なるものに触れ、次第に理解を深めていく展開はさながら冒険
  記を読んでいるような臨場感があった。
  316ページ、最初から最後まですべてが面白く、飽きさせない。


  私は本を読んでいて大事なところに付箋を貼るようにしている。
  当然ながら、得るものない本の場合は1枚も貼らない。
  『ハワイの秘法』、今読み終えたところだが、26枚貼ってあった。
  こんなことは滅多にない。
  学ぶべきことがこんなにもある。



▼自分の人生に100%責任を持つとは?▼

  この手の成功本を読み尽くしてきたので、大抵のことでは驚かなく
  なっているが、『ハワイの秘法』に書かれてあることはこれまで触
  れたことのないまったく新しい概念だった。


  自分の人生に100%責任を持つ。


  この概念自体は目新しくはない。
  たとえ我が身に理不尽な出来事が起きようと、それを自分の責任と
  して受け止める。
  これができる人はなかなかいない。
  自分でやったことすら責任をとらない人ならたくさんいるが。

  ここに、我が身に起こったことはすべて自分の責任であると考えら
  れる人がいたとしよう。
  だが、そんなできた人でも100%自分の人生に責任を持っている、
  とは言えない。

  知人が病気になった場合、その責任は当事者である知人にある、と
  考えるのが一般的だ。
  事故にあった、トラブルに巻き込まれたも同様。
  自分が病気になったのではなく、自分が事故ったわけでもなく、自
  分はトラブルに巻き込まれていないのだから。
  だが、ホ・オポノポノでは、それすらも自分の責任と考える。

  知人だけではない。
  世界中で起こっている天災や飢饉、戦争、犯罪、不況……等々も自
  分の責任と考える。

  要するに、自分の現実に入り込んだものはすべて自分の責任、とい
  う考え方だ。
  たとえそれが1秒であっても。

  これが100%、自分の現実に責任を持つということだ。
  この考え方にならうならば、巨人上原の調子が今一つなのも私の責
  任、ということになる。



▼自分を清めると自分を取り巻く現実が変わる▼

  ホ・オポノポノがスゴイのは、自分に関する問題はもちろん、自分
  の現実に入り込んだ知人の問題、赤の他人の問題を、自分一人で解
  決してしまえる、という点だ。

  ホ・オポノポノの伝道師イハレアカラ・ヒューレン博士は70代の男
  性。
  ハワイ州立病院に3年間勤務した。
  その間に、触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神
  障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病
  棟に収容されていた人たち全員(30人程)を、誰一人診察すること
  なく癒した。

  「誰一人診察することなく」、ということは「原因究明することな
  く」、ということを意味している。


  原因がわからなくても治療できる?
  一人の例外もなく……?


  驚くべきことに、その病棟は現在閉鎖されているという。
  患者が一人残らずいなくなったからだ。


  ジョー・ヴィターリ氏はイハレアカラ・ヒューレン博士に電話でイ
  ンタビューし、どうやったのかを訊いた。
  イハレアカラ・ヒューレン博士はこう答えた。


  「言い続けたんですよ、ごめんなさい、あなたを愛していますと。
   何度も何度も」


  こうすることによって自分が清められるらしい。


  自分の現実は自分が創っている。
  ならば、自分を清めることによって自分を取り巻く現実も変化して
  いく。
  どうもそういう理屈らしい。

  実際、ハワイ州立病院に勤務していたイハレアカラ・ヒューレン博
  士は自分を清めることによって、自分を取り巻く現実を変えてしまっ
  た。



▼人は記憶によって生きているが故に問題と戦い続ける▼

  イハレアカラ・ヒューレン博士によれば、人の生き方には2通りしか
  ないそうだ。
  記憶によって生きるのが1つ。
  霊感によって生きるのがもう1つ。


  ほとんどの人は記憶によって生きている。
  ゆえに問題が生じる。

  この記憶とは、人間に、そのように行動させるプログラムのことだ。
  つまり、あらゆる問題の原因はただ1つ、潜在意識下で記憶が再生さ
  れたため、となる。
  ガンも、非行も、虐待も原因は同じ。

  例えば肥満。
  これも、原因はホ・オポノポノの解釈に従えば「潜在意識下の記憶
  再生」となる。
  太りすぎの人は、「ついつい食べすぎてしまう」というプログラム
  の支配下に置かれている。
  それを意志の力でねじ伏せ、ダイエットに励んだとする。
  しかし、そのプログラムが消去されない限り、「ついつい食べすぎ
  てしまう」こととは縁が切れない。
  ダイエット熱が下がったら体重は増加、体重が増加したらダイエッ
  トに励む。
  この繰り返し。
  一生戦いだ。

  だが、このプログラムさえ消去できれば、もう「ついつい食べすぎ
  てしまう」ことはない。
  ダイエットの必要など存在しなくなる。



▼記憶を消去すれば神格が姿を現す▼

  では、どうやったら記憶(問題を発生させるプログラム)を消去で
  きるのか?

  『ハワイの秘法』には1つしかその方法が明示されていない。
  次の4語を常時唱え続ける、という方法だ。


  I love you.
  I'm sorry.
  Please fogive me.
  Thank you.


  なにしろ常時これらを唱え続けることによって記憶がクリーンにな
  る。
  すると、ゼロ・リミッツと呼ばれる地点に達する。
  そこでは神格の声が聞こえ、霊感を受け取れる。
  それを行動に移すことによって富や健康、成功がやってくる。


  というのだが、実際そうなるかどうかは確かめてみるよりない。


 --------------------------------------------<引用 ここまで>---


 [参考]
  ・Ho`oponopono <SITH>:ホ・オポノポノ日本語サイト
   < http://blog.hooponopono-asia.org/ >

  ・『ハワイの秘法』⇒< http://seikou.info/url/hawaiihihou.html >
  ・『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』
    ⇒< http://seikou.info/url/hooponopono1.html >




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   ⇒< http://blog.livedoor.jp/lasik/archives/51455062.html >

  ・ドライアイが治っちゃった? 術後3年9ヵ月後の視力
   ⇒< http://blog.livedoor.jp/lasik/archives/51440822.html >

  ・週刊新潮掲載・品川近視クリニックの告発記事を読んで
   ⇒< http://blog.livedoor.jp/lasik/archives/51440110.html >


 ◆[サプリメントの日だまり]
  ・三井製糖「スローカロリーシュガー」購入レポート
   ⇒< http://plaza.rakuten.co.jp/supple/diary/200810110000/ >




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 ▼ エイジのつぶやき
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 (^_^σ:ホ・オポノポノのクリーニングを続けていると、
     愛情が注がれているものとそうでないものの見分け
     がつくようになってきます。
     私は身の回りの様々なものを愛してこなかったこと
     に気が付きました。
     生物・無生物に関わらず放置されているものは大抵
     愛されてません。
     以来、近くの木々にお水をやるようになりました。


     最後まで読んでくれてありがとうございます。


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常に心に留めておきたい詩
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功の中にのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。

(ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳)


奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録
(この本の中の一節です)
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