金策冒険家エイジのblog

私は、私のままで、成功していける。金策冒険家エイジの思考と実践の、不定型な日常。
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自らの滅び方を選択する人類 - NHKスペシャル「女と男(3) 」を観て(8)

Friday, 13, 2009 at 13:49
やがて消えゆく男の定め。
そのとき私たちは、テクノロジーをどう使っていくのか?
あるいは使わないという覚悟を決めるのか?

研究室


この点については、科学者の間でも意見は一致していない。
JUGEMテーマ:NHK

性のコントロールはタブー


[性の進化研究者 北海道大学教授 松田洋一博士]
生物が長い進化の歴史を経て獲得してきた様々な機能を人為的に改変するということは倫理的な面から非常に大きな問題を抱えているという風に思います。性をコントロールするということはタブーという風に私は思いますね


技術の進歩によって人類滅亡は避けられる


[精子研究者 ニューカッスル大学教授 ジョン・エイトキン博士]
我々人類の歴史は生物学的制約から解き放たれてきた歴史でもあります。我々は自分たちの未来を築いていけるのです。性の仕組みも当然その1つだと思います。きっといつか私たちは、この問題を乗り越える技術を手にするに違いありません


その技術を、人類は使えるのか?


[顕微授精開発者 ブリュッセル自由大学教授 ポール・デブロイ博士]
これは大変難しい問題です。Y染色体の消滅ということへの根本解決はないわけですから。受精卵をつくる技術を確立しなければならないでしょう。でも、そうした技術ができたとして、果たして人間社会はその技術を利用する準備ができるのでしょうか? それが問題です


エピローグ


およそ400万年前までにアフリカの大地で二足歩行を始めた人類の祖先。
このときから私たちは未知なる環境を生き抜くために、自らの未来を切り開く道をたどってきた。
未熟なまま生まれる赤ちゃんをともに育て上げるために進化させた恋愛のシステム。
生き残るために女と男が始めた役割分担。
そこからは同じ目的を達成するための異なるやり方が発達した。

そして現代。
長い進化の過程で肉体に刻まれてきた制約を乗り越える模索も始まっている。
真に平等な社会を目指し、男女の違いを認識した上で、個性を活かそうとする教育や医療。
夫婦関係のすれ違いを乗り越えようとする人々。

そして、日進月歩で変わる生殖医療。
自らの運命を予知し、危機に備える能力を身につけた私たち人類。
これまで自然という懐に抱かれてきた私たちは今、自ら選択する生物へと歩み始めているのかもしれない。


[単行本とDVD]
だから、男と女はすれ違う―最新科学が解き明かす「性」の謎 NHKスペシャル 女と男 DVD-BOX NHKスペシャル 女と男 第3回 男が消える? 人類も消える? [DVD]




ここまでの感想


自然とは何か、について考えさせられる。

人間とは自然の一部である。
よって人間のやることすべては自然な行いである、とする立場がある。
遺伝子組み換えも体外受精もクローン人間創造すらも、倫理的に問題ない。
そう考える科学者、技術者がいる。

その一方で、人間とは自然から生まれはしたが、その行い次第で自然の一部となることも、自然と対立すること(反自然)にもなる存在であり、よってその行動は注意深くあるべきだ、とする立場がある。

また、聖典によって許されていないことはすべて罪であり、決してタブーを破ってはならないとする立場もある。


67億分の1の真実


たとえ人類が戦争のない平和な世界を実現したとしても、Y染色体の消滅は避けられず、やがて人類は滅んでいく。
いわばY染色体は自然が人類(広くは哺乳類)に刻印した消費期限である。

期限が来たとき、トゲネズミのように自然に突然変異が発生した場合、それは自然によって人類がY染色体消滅後も存続すべき種、もしくは存続を許された種として認められた、ということになろう。
しかし、そうでなかったときは潔く運命を受け入れ滅ぶべきである。
人類が誕生したときと同様、その終焉も自然に任せるべきである、という立場。

そうではなく、生殖技術やバイオテクノロジーを駆使して一世代でも長く存続しようとするのは当然であり、それらをもってしても存続できなかったときが滅亡の時である。
人類の終焉は人類の手によってなされるべきである、とする立場。

どちらも一理ある。
ただ一個の人間が67億もの命運を考えるというのは、あまりに問題が大きすぎて着地点が見出せない。

この問題を考える上で1つのヒントになるであろうアイディアは、一個の人間の器にあった問題として考えてみる、ということだ。
つまり人類の滅亡について考える場合は、一人の人間(自分)はどういう形での死を選ぶ(望む)のか、と考える。

今ここに、精神は元気だが、肉体は不治の病に冒され余命幾ばくもない自分が病院のベッドで寝たきりになっている。
さて、自分は可能な限りの延命治療を受けて1秒でも長く生き長らえるのか?
植物状態になる前に治療をやめ、自然死(尊厳死)を選ぶのか?
ただ何もせず、死を待つ日々を過ごすのか?

まずはこの問題の答えを出すことが、人類存亡を考える際の最初の足がかりになるのでは?

おしまい



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常に心に留めておきたい詩
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

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(ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳)


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