金策冒険家エイジのblog

私は、私のままで、成功していける。金策冒険家エイジの思考と実践の、不定型な日常。
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臓器提供考(1) - 理想の死とは?

Sunday, 29, 2009 at 18:51
アイバンクへ献眼登録することにした。
登録方法は最寄りのアイバンクへ連絡し、送られてくる「提供登録申込書(ハガキ)」に必要事項を記入してポストに投函するだけ。
後日、「登録票」が送られてくる。

提供登録申込書
提供登録申込書


私は神奈川県在住なので、財団法人かながわ健康財団 腎・アイバンク推進本部(横浜市)に登録することにした。
ここは他のアイバンクと違って、腎バンクといっしょになっている。
なので眼球(角膜)と腎臓の両方を一度に登録することができる。
[関連リンク]


[関連記事]
»[2009年03月28日] アイバンクに登録しました


「臓器登録」までの高い壁


作業としてはハガキ一枚書いて送るだけだが、それをポストに投函するまでの間、いろいろなことを考える。

提供登録申込書をポストへ投函
提供登録申込書をポストへ投函



自分の死後、まだ使える臓器があるのなら、それを必要としている人のために利用してもらいたいと考えている人はけっこういるのではないかと思う。
だが実際にそのための手続き(臓器の登録や臓器提供の意思表示)をしている人となると、多くはないようだ。

社団法人日本臓器移植ネットワークによると、「日本で臓器の提供を待っている方は、およそ12,000人です。 それに対して移植を受けられる方は、年間およそ200人です」とのこと。
需要に供給がまったく追いついていない。

この数字を見ても、「臓器提供してもいい」という思考が「臓器登録する」という行動として表現されるまでには思いの外高いハードルがあることを示している。

これにはいくつか理由が考えられる。

家族、近親者の理解と協力がなくては現実的に臓器を提供することはできない。
この理解と協力を得るという条件以上に根が深いと思われるのが、死と正面から向き合うという作業だ。
臓器提供をするにしてもしないにしても、その結論を出すためには己の死と正面から向かい合うという作業が欠かせない。
だがこの作業、多くの人にとって先延ばしにしたい事案№1だろう。
医師から死の宣告をされて初めて「自らの死」を意識する、というのが一般的なのかもしれない。


理想の死とは


さて、私が「提供登録申込書」を記入しているとき、こんなことを考えた。

このハガキを投函して、私の臓器が移植用臓器として登録された瞬間、私に用意されているいくつかの人生の内、もっとも早死するシナリオが選択され、私の臓器を必要としている人たちに提供されるのではないか?


「そんなバカなことあるか!」と理性は即座に反発する。

人生に「いくつかのシナリオが用意されている」という前提があるのかどうかもわからない。
仮にあったとして、その中で早死にするシナリオが選択されるか、長生きするシナリオが選択されるか……、そもそもそれを決めるのは誰なのかわからない。


そしていつもの結論にたどり着く。


人はいつ、どのような形で死ぬかわからない。
死が訪れたとき、それがどんな形であろうと、それを受け入れるよりない。



私にとって理想の死とは、苦しむことのなく静かに死ぬことでも、大勢の人間に看取られながら死ぬことでもなく、その与えられた死がいかなる形であろうと、喜んで受け入れ、それに感謝できる状態で逝くことだ。

仮に私の人生を司っている神がいたとして、私に用意されている人生の中からもっとも早く死ぬシナリオが選択されたなら、私は喜んでそれを受け入れる人間でありたい。
たとえそれがどんなに理不尽な形で訪れたとしても、それに感謝することができたら、それは私にとってこの人生における1つの、大きな達成となるだろう。

願わくば私の死を看取る近親者も、その価値観を理解してくれたらと思う。
さらに私の臓器がそれを必要としている人のもとに無事届けられ、役に立ってくれたら、この上ない。

後悔のないように生きておく、というのは自明の理だが、いつ死んでもいいように好きなことをできる限り楽しんでおく、というだけでは片手落ちで、並行していついかなるときもあらゆる死を受け入れられる覚悟を涵養しておく、ということも重要だと気付かされた。

いつ、どのような形でこの世を去るかわからないが、そのときまでに私の考える「理想の死」を迎えられる人間であれたらと思う。


[関連リンク]


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»[2009年03月28日] アイバンクに登録しました
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金策冒険家エイジのblog | Wednesday, 01, 2009 at 19:40
常に心に留めておきたい詩
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功の中にのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。

(ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳)


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